木々のささやき 357号

母の教え

 母からの教えは、「~しなさい」「~でないといけんよ」と言われて教えられたことより、母の姿、行動そのものが私に対する教えであったと思っています。

 

 何より母は働き者でした。「はたらく」とは「はた(周りの人)を楽にする」ことだとも言われていますが、その言葉の通り働くことで自分が楽になるより、双子の兄と私を幸せにするために一生懸命働いてくれた母でした。朝一時頃から夜の八時頃まで家事をしながら働いていました。母を見ていると、「かわいそうだ。手助けしなければ」と思ったものです。小学生の時「おかあさん、きつくない?」とたずねたことがあります。その時母は、「きつくなんかあるもんかい。お前達が育つまで、一生懸命働かな」と自らを励ましながら仕事をしていました。私も独立開業し、母のように一生懸命働いたと思っていましたが、振り返ってみると、母の足元にも及ばなかったと思っています。

 

 母は90才を超えると、足腰が弱ってきて、寝たきりとなりました。そんな母の口から「ありがと」という言葉をよく聞くようになりました。何か一つ私達の手をわずらわせるたびに「ありがと」です。私の兄も次のように振り返っていました。

 “母の「ありがと」の言葉が少しの違和感もなく、自然に耳に入ってくる。したがって母のお世話が少しも苦にならない。私の体が自然に動くし、自然に耳に入ってくる「ありがと」に心が和む。母の「ありがと」は私に力をみなぎらせてくれる不思議な言葉だ。(中略)私は母にどの位「ありがとう」と感謝の言葉を述べただろうか?母からその何百倍いや数千倍もの恩恵を受けたはずなのに…。”

 

双子の兄夫婦は母の「ありがと」という言葉に力をいただきながら母を最期まで看取ってくれました。母は私たちに、感謝して生きることの大切さを伝えたかったのでしょう。

 

小学生まで母親と一緒に寝ていたせいか、母の懐の中の暖かさが、今でも忘れられません。懐の中の暖かさに包まれ、護られていることの心地よさのおかげで私の心は育っていったと思っています。人としてのやさしさや思いやりの大切さを学んだ気がします。母のサロンパスの匂いは懐かしい母の匂いです。

 

 また母は体を大切に使いなさいとも教えてくれました。細胞の一つ一つが活動を停止するまで、全力を出しきって生きることの大切さを最後に教えてくれたと思っています。80才を超えるころから胆石の手術2回、ペースメーカーの装着手術2回、大腿骨骨折2回等の外科手術を受けながらも、細胞の一つ一つが活動を停止するまでの95年間を生き抜きました。体を大切にし、世のため、人のために生きることの大切さ、すばらしさを教えてくれたと思っています。

 私に人としての骨格を作ってくれた父。人としての愛情や一生懸命働くことの大切さを教えてくれた母。こうした父と母にあたたかく包まれたおかげで、幸せな人生を送ることができています。心より感謝しています。両親から受けた恩の数々に感謝すると同時に、次世代に受けた恩を送っていきたいと思っています。

 

2020年10月 357号より 芳野 栄