木々のささやき 299号

呼吸を調え、心を調える

 素心学(池田繁美先生)では”素心学は、禅的瞑想にはじまり、禅的瞑想に終わる”と言われるくらい「禅的瞑想」を大事にしています。「禅的瞑想」は姿勢を調え(調身)、呼吸を調え(調息)心を調え(調心)何も思わない、何も考えない無心の状態となり心の中に「静かな喜び」を植えつけていくことを目的におこなうものです。

 素心学研修所での勉強会がはじまる前の二十分~三十分、禅的瞑想をおこなうための部屋(月の間)で心を調え勉強会に臨むようにしておりますが、他の塾生も同様に勉強会前に心を調えようと禅的瞑想を実践されるかたがいらっしゃいます。

 私が禅的瞑想をしている中、一人の塾生が部屋に入ってきました。扉の開閉を静かにおこない、ハキモノを揃え、静かに歩き、そっと押し入れのふすまを開け、中から座禅用ざぶとんをとり出し、そっとふすまをしめたあと自分の坐る位置まで静かに移動し、禅的瞑想をはじめます。その塾生の呼吸や雰囲気と私の呼吸がよく調和し、再び瞑想が深くなります。静寂さをこわさない、その立居振舞の美しさに感謝です。また一人の塾生が入ってきました。何かしら今までの静寂さがこわれています。入口扉の開閉やふすまの開閉にも音がします。本人は静寂な空気を乱すまいと細心の注意を払っているようですが・・・・・。ざぶとんをとって自分が坐ろうとするところまで歩いているのですが、畳に足をすって歩く音が、静寂な空間を破っています。禅的瞑想をはじめても呼吸が荒くまた速く、その息づかいが伝わってきます。私の心の静寂さをとりもどすのに時間がかかってしまいました。私も未熟ですね。

 こうしたことから、素心学を学び人格を向上させていく上で、呼吸を調え心を調えることが大切だと体験できました。人格が向上しているか否かは、いかに呼吸(息づかい)が調っているかだと思います。また禅的瞑想をしている時の呼吸をいかに乱されないかも判断の目安になります。もちろん立居振舞も大切です。

 何をしても、また何があっても呼吸が乱れず心をしっかり調えておくことができる、そのような人格者、人物をめざし、禅的瞑想を続けてまいります。

 

2015年12月 第299号より 芳野 栄