使命感を持って(1)

 だんだんと日が長くなってまいりました。晴れた昼下がりは暖かさを感じ、川のほとりのチューリップもすくすくと芽を伸ばしはじめています。春がすぐそこまで来ているのを実感し、何だかワクワクしてきます。

さて、今月、来月は「使命感」ということについて触れてみたいと思います。「使命」とは、字のごとく「命を使う」とかきます。広辞苑(岩波書店)によると「自分に課せられた任務。天職。」とあります。私はパン屋という仕事が天職であり、自分に課せられた任務であると強く意識しています。

私が9才の時に父が地元北九州(萩原)で木輪をオープンさせ、一階が店舗、二階が住まいという暮らしがスタートしました。それまで父は会社勤めでしたので、夜7時には家族そろって晩ごはんを食べ、休日にはおでかけをするといった生活でした。ところが一変、両親ともに朝は2時3時から夜は8時9時まで仕事をして、休日は仕込みやパン屋めぐり、私と妹も店の掃き掃除やパンの陳列を手伝ってから学校へ行くという生活となりました。「パン屋って大変な仕事だなぁ」「ぼくにはこんな苦労できないなぁ」と子供ながらに感じていました。いざ就職するときには私の中ではパン屋という選択肢はありませんでした。小さいお子さんにはとても人気で華やかな「パン屋」という職業も、当時の私にはその裏側しか見えていませんでした。私は大学を卒業し、そのまま京都にある半導体メーカーの営業マンとして就職しました。半導体メーカーで営業活動していく中で、社会の厳しさを実感するできごとが多くありました。礼儀やマナー、報告・連絡・相談、モノを売るということの大変さ、責任など、急成長の企業でしたので、とても厳しい環境で1,2年目を過ごしました。徹夜してやらなければならないときもあれば、大クレームを起こしてしまい、お客様に首根っこをつかまれ、激しく怒られたこともありました。

 五年ほど経った頃、順調に仕事がすすむようになり、その後の方向性について考えることが多くなりました。父からは大学在学中には毎日、卒業してからも頻繁に木輪のできごとや世間でのニュースに対する父の考えなど便りが送られてきていました。父のパン屋を通じた地域活動や木輪のスタッフを大切に想う様子などよく伝わってきました。私は世界中に1万人を超える社員のいる大企業の一社員として勤める一方、父は規模こそ小さいですが、少しずつ規模を大きくしていきつつ、木輪の社長として社内外、地域社会に貢献している姿はとても素晴らしく、誇らしいと思うようになってきました。「肉体的、精神的な苦しみがあるのはどんな職業でも存在する。周囲の人に喜びや幸せをお届けするために父は大変な苦労をしていたのだ」とわかったときに、パン屋という職業の素晴らしさ、魅力というものを感じました。そして、「私も小さくてもたくさんの人の幸せに貢献できる父のようになりたい」と思い、木輪を受け継ぐことを決意しました。(次号につづく)。