木々のささやき 296号

「乳哺養育の恩(にゅうほよういくのおん)」

 九月は私の誕生月であり、母親の亡くなった月でもあります。したがって九月になると、両親に対して、特に母親に対して感謝の気持ちが強くわいてきます。感謝の気持ちを伝えようと、自分の誕生日と両親の命日には「父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)」を唱えております。その「父母恩重経」には、「父母に十種の恩徳あり」と書かれています。今回は、そのうちの私の受けた「乳哺養育の恩」について述べさせていただきます。

 私は兄と一緒に双子として生まれました。母親は、生まれた私達に、ほぼ同じ時間に母乳を与えることが必要となりました。場合によっては、両手に私達を抱きかかえ、一度に両方の乳房からそれぞれに母乳を与えるということもあったのではないかと思われます。しかし、残念なことに、母親には二人のおなかを満たせるだけの母乳がでません。母乳とミルクを交互に与えていたようです。しかし、私は体が弱く、ミルクを受けつけることができなかったようです。母乳は不足しミルクを受けつけれない私は、次第に痩せ細っていったそうです。そこで母親は、母乳を分け与えてくれる方をさがし、やっと一人の方から母乳をいただくことができるようになったそうです。おかげで私のやせ細った体が少しずつ回復していったようです。母親の必死な努力と献身的な方のおかげで幼い命をつなぐことができました。一人の子供を養い育て上げることも大変な中、二人の子供を同時に養い育て上げた母親の芯の強さ、愛情の深さに尊敬の念を感じます。また私達二人を平等に分け隔てなく育ててくれたということにも感謝しています。聴いた話ですが、私に母親の右の乳房で母乳を与えると次回は左の乳房で与え、兄には、その反対の乳房で母乳を与えていたそうです。それ以降も「平等に、平等に」と口ぐせのように言いながら育ててくれました。母親のおかげで、幸せな私が今、ここにあるのは間違いありません。ありがたいとしか言いようがありません。

 「父母恩重経」の中の「乳哺養育の恩」のところにも、「母にあらざれば養われず、母にあらざれば育てられず」と書かれてあります。お釈迦様の時代から、母親の子供に対する愛情の深さは変わりません。次のようにも書かれてあります。「子供が生まれた時の母親の顔は、花のようであったものが、子供に乳を与え、育てる中で数年のうちに容姿は、憔悴しきってしまう」。子供を養育することの大変さは、母親にしかわかりませんが、私の想像以上のものだと思います。

 自分の誕生日には、自分の育ったいきさつや、大変さを母親から直接話してもらうのも良いと思います。私の場合、十四年前に亡くなった母親を思い、母親から受けた深い愛情と恩に心から感謝の気持ちを込め「父母恩重経」を唱えたいと思います。

 

2015年9月 第296号より 芳野 栄