現在素心学を学ぶ場として、耕心塾(素心学塾の入門コース)、素心学塾、素心学要論講座(素心学を伝えるために学ぶ)があります。この三つを学ぶ場として、直方市(のうがたし)に素心学研修所が10年前に開所されました。
長年にわたって毎月3回素心学を学んでいますと、次第に素心学というものが身近に感じられるようになりました。
塾長である池田繁美先生は、素心学塾を「学行一致」の場であるとして、そこは「生きた学びを得るところ。活かした学びを持ち寄るところ」とされています。
「生きた学び」とは、私は「自己を知る学び」であると考えています。つまり、塾長のお話や他の塾生の体験発表を聴き、自分に欠けているところ、自分の未熟なところに気づく学びということです。
一方「活かした学び」とは、自分の欠けているところに気づいた後、それをどのように正したのかをそれぞれの塾生が持ち寄り、「私は自分の欠けているところをこのようにして正していきました。」という体験を語り合うことであると解釈しています。つまり素心学塾とは「自己を知り、自己を正す」場であると言えます。
毎年12月に入ると、素心学塾では”納会”を行っています。一年間の学び納めということで、美味しい料理と少しのアルコールをいただきながらお互いに胸襟を開いて語り合っています。まじめに楽しく、和気藹々とした雰囲気の中で塾生同士の意見交換がくりひろげられています。
多くの塾生が意見交換をする中で、自分に欠けているところに気づくこともあります。また一方で自分の欠点を「このようにして正していった」という意見も聴くことができます。
このように考えると、こうした活発な意見交換がおこなわれる”納会”の席も素心学研修所をはなれた素心学塾と言えるのではないかと思いました。塾生同士が”納会”という場で「生きた学び」を得、さらに「活かした学び」を披露しあっている姿はとても尊いものです。さらに、毎日の日常生活の中においても、毎日の反省をくり返す中で「自己を知り、自己を正す」ことを意識しながら過ごすことで、素心学を学ぶ場(素心学塾)と言えるのではないかと思いました。
今年は、これまでの素心学研修所で開催される素心学塾が、素心学を学ぶ唯一の場であるという考え方にとらわれず、日常生活を営んでいる場(家庭や職場)も立派な素心学塾であると意識して、素心学の学びをさらに深めていきたいと思っています。
2020年1月 348号より 芳野 栄