木々のささやき 332号

遠行憶念(おんぎょうおくねん)の恩

 木輪では昨年度より、社員の誕生月にはそのお祝いとして、”お祝金”を少額ですが支給するようにしました。少額ですので充分ではありませんが、自分を産み育ててくれた両親に、感謝の気持ちを伝える足しにしていただきたいという思いからです。ですから”お祝金”というより”親孝行補助金”というほうがよいのかもしれません。17年前に母を亡くして以来、もし母親が存命なら私の誕生日に、”心から感謝の気持ちを伝えたいなあ、自分の現在の姿を見せて安心させたいなあ、喜んで欲しいなあ”と思ってきました。「親孝行したい時に親はなし」と言われますが、社員にはそうあって欲しくありません。両親が健在な今、誕生日には「産んでくれてありがとう」という感謝の言葉とともに、その感謝の気持ちを行動で示して欲しいと思っています。そのことで両親も大人として成長したわが子に、喜びを感じるはずです。

 私は両親が亡くなった現在、自分の誕生日にはお釈迦様の説いた「父母恩重経」を唱え、両親に感謝の気持ちを伝えるようにしています。その「父母恩重経」の中から、今月は”遠行憶念の恩”について父母の恩を思い返してみようと思います。

 ”遠行憶念の恩”とは、「わが子がどこか遠方へ出かけた時など、その帰りを案じ待ちわびる親の愛情」をいいます。

 学生時代私は、親元をはなれ関西で生活していました。両親は夏休み、冬休み、春休みをとても楽しみにしていて、首を長く伸ばして帰りを待ちわびていました。学期の途中、父からいただくハガキにも「あと何日したら帰ってくるね。楽しみにしてるからね。元気に帰って来なさい。」という内容がよく書かれていました。実家から関西へ戻ろうと家を離れる時には、「次はいつ帰ってくるかね」ともう帰ってくる日を尋ねる始末です。自分の手元から子供が離れてしまうさみしさでいっぱいだったのでしょう。同時にその無事を心から祈ってくれていたのでしょう。

 こういうこともありました。夏休み、10日間程サイクリング一人旅をした時のことです。途中途中で「今日は○○に今着いたから」と必ず電話を入れるようにしていました。交通事故やトラブルがなかったか心配しているだろうと思ったからです。ところが一日電話を入れない日がありました。すると翌日、父からしっかりとお灸をすえられました。父の不安をよそに「便りのないのがいい知らせやけ、心配せんでええよ」と言ってしまったのです。

 ”親”という字は”木”の上に”立”って遠くを”見”ると書きます。その字のように親は、遠くにいる子供の事を心配するものだということが良くわかりました。また、自分が親になった時、そんな父親の愛情深いことがよく理解でき、感謝の念を感じずにはおれません。

 

2018年9月 332号より 芳野 栄