私の学んでいる素心学(池田繁美先生)では、素直になると正しく生きるための五つの知恵が発現されますと教わります。その一つに「自然の分身であることの自覚」をあげておられます。
ここ三週間ほど、休みがとれない中、休日を利用して自然の中に一日中浸っておきたいという気持ちが日増しに強くなってまいりました。これまで”自然行”ということで自然豊かな所を一泊二日くらいの行程で歩いていましたが、今回は、自然の中を歩きまわるのではなく、ただ自然の中に身を置いて、軽い散歩をしたり、本を読んだり、静かに禅的瞑想をしながらゆったりとした時の流れを感じながら一日を過ごしてみました。自然に抱かれ一日を過ごしてみると「自分とは自然の分身である」ことを感じずにはいれません。
車の騒音や日常生活の中のさまざまな音を離れ、小鳥のさえずりや川のせせらぎの音、風の音や木々の葉のすれ合う音などに包まれ、目からは、山々の濃淡の緑の風景が入ってきます。そのような環境に身を置いていると、心の緊張がほぐされ、心の中がうるおってくるのを感じました。
木々の中を散歩していると名前も知らない小さなオレンジ色の一輪の花が目にとまりました。じっとながめているとなぜか心が癒されてきました。一所懸命に咲いているようで私に何か語りかけているように思えました。渡辺和子さんの本に「置かれた場所で咲きなさい」という本がありますが、その本のタイトルどおり、周囲の草花と異なる小さな一輪の花が、種子がどこから飛んできたのかわかりませんが、その場所に落ち根づいたのでしょう。自分で咲く場所を選べなかった小さな花。与えられた環境の中でだまって成長し、美しい花をつけているのです。そして私と出会い、私の心を癒してくれているのです。「ありがたいなあ」と思わずにはいれません。それに比べ、「あれがいけない」「これはイヤだ」などと逆らってばかりの私に、「あるがままをもっとそのまま受け入れてはどうでしょう」と語りかけてくれているようです。
またそこで読んだ本にも次のようなことが書かれてありました。「なによりも、人は自然の産物です。自然の中の生きものの一種です。・・・(中略)自然の産物として生まれただけ。そう思えば気楽なものです」(篠田桃紅著”一〇三歳になってわかったこと”)冒頭の素心学の中にある素直になることで「自分というのは自然の分身であることがわかる」というところに重なります。
今回、自然の懐に抱かれ、自然の流れに逆らわない生き方こそが素直な生き方であり、無理のない生き方であることがわかりました。同時に自然の中に抱かれることの心地よさを感じることができました。
2015年6月 第293号より 芳野 栄