木々のささやき 320号

両親に感謝しよう

 素心学(池田繁美先生)では、誕生日は自分を産み育ててくれた両親に感謝する日ですと説いています。そこで私の誕生日である九月には、父母の恩の深さを説いた「父母恩重経」の中の”十種の恩徳”の中から私が父母から受けた恩徳を思い出しながら”木々のささやき”に書くようにしています。そうすることで、父母の恩に少しでも報いていこうと思っています。

 今回は、”十種の恩徳”の中から「洗灌不浄の恩」について思いをはせてみました。「洗灌不浄の恩」とは、自分の子どもを抱いて、ひざにおしっこをかけられたり、懐に大便をしたとしても、少しもきたないとか、臭いとかいっていやがらず、洗って処理をしてくれる親のありがたさを説いています。

 私たち(双子の兄と私)は、二人同時でしたから、親には人の倍の手を煩わせたはずです。現在のように使い捨てのおむつなんてありません。布でできたおむつを汚してしまうと、すぐに洗って乾かし次に備えておかなければなりません。夏ならまだしも冬の寒い日でも冷たい水に手を入れ、人の倍の量の汚れたおむつを、手でゴシゴシ洗ってくれたのだと思うと、それだけで「お母さん ありがとうございました」と胸が熱くなります。また洗ったおむつは、しっかり乾燥させ、取りかえ時に不快さを与えないよう、冬であれば、ストーブやこたつでしっかり乾燥させてくれていたことでしょう。

 私が自分の子どものおむつをかえた時を思い出してみると、おしっこの時ならなんとか指でつまんで交換していましたが、大便となるとそうもいきません。「大変だー。ちょっと来てー。」と妻を呼ぶと、「何がきたないね。あなたもむかしはそうやったんよ。それをいとわず二人分きちんとしてくれたんよ」といいながら交換し、「いいウンチしてる。健康や」と言っていました。私の母親もきっとこうだったんだろうと思いました。

 母親は、朝早くから夜遅くまで働いていました。そんな忙しい毎日、私達にひとときも不快な思いをさせないよう、私達の知らないところで私達を世話し、育ててくれた母は偉大です。

 そんな母も十五年前他界し、それまで受けた恩に報いることはできませんでした。母の命日、父の命日、そして私の誕生日には、これまで育ててくれた母の恩と、ここまでしっかり導いてくれた父の恩に感謝の気持ちを込めて「父母恩重経」を唱えています。これまでに受けた両親の恩と感謝の気持ちを次の世代に伝えていくことも私にとって大切なことだと思っています。

 今年も、九月十七日に私の誕生日と九月二十二日に母の命日がやってきます。しっかりと感謝の気持ちを伝えます。

 

2017年9月 320号より 芳野 栄